ひとなるブログ

心に留めておく言葉、フォーカスすべき事柄、マジョリティ側の意見を日記として記述してますあ

若気の至りと老害

社会人になって20余年。業務や対人関係、お金、コンプライアンス遵守など経験を積んでいくことで世界観が広がっていく。それは誰しもが感じることだと思うが、これが何を意味しているのかというと、経験というものは選択肢を増やしていることに他ならない。選択肢というものはあらゆる岐路に立たされた時の基準となる己の指針である。己の選択が正しいか正しくないかは己の選択肢の中でしか図り得ない。

 

若気の至りという言葉は結果はどうであれ選択肢の幅の広さを意味しており若さゆえの選択幅の狭さを表しているのではないか。

 

子供が生まれて四年弱。数年後に訪れる初等教育で養われる教育では知識の詰め込みしか行われないのではないかと考えるとあらゆる子供の好奇心に真摯に向き合わないと選択肢は増えないのではないか。そう考えると突拍子も無い子供の言動に対して大人である親が一辺倒の受け答えでは子供の成長が止まってしまう。自由に育てながら躾はしっかりしていきたい。

 

とりあえずこの前見かけた電車の優先席でのご老人が横柄な態度で弱者を演じてしまうような大人にはならないよう日々過ごしたいと思う。

 

ペースメーカーをつけているんだから(自称)携帯電話の電源は切りなさい、と優先席を立ち2メートル離れた私に掴みかかってきた時には「お前の自殺行為に責任を押し付けるな。お前が電車を降りろ。迷惑だ。」と言いそうになった。

ペースメーカーの企業が携帯電話の電波に影響が出るような機器をそのままにすると思うのか。ペースメーカーのバッテリーが何年で切れて何年に一度更新する必要があるのか本当にペースメーカーをつけているのであれば知らなければならない情報だ。まぁ若者に文句を言いたいだけの老人だったんだろう、としか思えない。こんな老人にはなりたくないな。

 

これからどんな自害がきてどんな自分になっていくのか不安であるが楽しみだ。